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名古屋家庭裁判所一宮支部 昭和59年(少ハ)2号 決定

本人 T・E子(昭三九・一〇・二三生)

主文

本人を昭和六〇年八月二八日まで特別少年院に継続して収容する。

理由

(申請の要旨)

本人は、昭和五九年二月二九日名古屋家庭裁判所一宮支部で特別少年院送致の決定を受けて榛名女子学園に収容され、昭和五九年九月二〇日少年院法一一条一項但書による収容継続決定がなされたものであるが、昭和六〇年二月二八日をもつて同決定による収容期間が満了となる。

本人は現在処遇段階の一級上にあり、昭和五九年一一月一二日付で本人につき出院希望日を昭和六〇年一月二九日として仮退院申請をなしているが、以下の理由により、仮退院後の保護観察による指導の期間を考慮して、昭和六〇年八月二八日までの収容継続の決定を求める。

一  本人は二度の少年院収容による矯正教育により地道に働く習慣は形成されてきたが、知能が低く、応用力、適応力は弱いので、出院後新しい職場に定着させるには周囲の理解ある根気強い指導が必要である。

二  本人の年齢的成熟もあり、当園内では感情を統制する努力をして安定化しているが、「放火」という重大事犯を過去に体験しているだけに、新しい生活環境における好しい対人関係が成立するまで、保護司の指導援助も必要である。

三  別紙「受け入れ環境」記載のような両親の状態であり、帰住についても保護機関の援護が必要である。

(当裁判所の判断)

一  本人は、両親健在の家庭に育ち、昭和五五年三月地元の中学校を卒業し、愛知県江南市内の縫製工場に就職した後約二年間は表立つた問題行動も見られず、通常の社会生活を営んでいた。

しかし、昭和五七年四月ころ遊ぶことを覚えてからは、仕事をやめてしまい、外泊、家出を繰返すとともに、無免許運転、シンナー吸引、不良交友等の問題行動を多発し、度々警察に補導されたがその効果がなく、保護者も家出中の少年の引取りを拒んだため、昭和五八年一〇月ぐ犯保護事件により観護措置決定を受けた。なお、本人はこの時鑑別所内で同室者の下着を盗むという問題行動を生じている。

本人は、右事件等により昭和五七年一一月一〇日当庁において保護観察決定を受け、自宅に戻つたが、翌日には早くも家出し、その翌日及び翌々日に再び窃盗の非行に及んだ。右非行は家出中泊めてもらつた知人やその友人の金品を窃取したものである。本人は、右窃盗により昭和五七年一二月一七日当庁において中等少年院送致の決定を受け、交野女子学院に収容された。

同少年院内においては、入院当初集団内での不適応が顕著に見られ、規律違反(物品窃取、厭がらせ等)が続いたが、次第に教育効果が上がり、昭和五八年一二月七日同少年院を仮退院したが、この間保護者は一度も面会に行かず少年の引取りについても消極的であり、加えて以前少年と同棲していた暴力団関係者が再三金を要求して自宅へ来るという状況も存したため、仮退院後は愛知県西尾市のクリーニング店(雇主が保護司)に住込就職した。

ところが、本人は、十日余りで右住込先を飛び出し、愛知県豊橋市内で一時キャバレーのホステスをしたり友人宅を泊まり歩いたりしていたが、ホステスをしていた当時の同僚と喧嘩別れしたことを根に持ち、昭和五九年一月二六日右同僚のアパートに放火、室内から物品を盗む非行を犯し、同年二月二九日当庁において特別少年院送致決定を受け、榛名女子学園に収容された。そして、申請の要旨に記載のとおり、その収容期間は昭和六〇年二月二八日をもつて満了となる。

本人は、同少年院内において当初喧嘩により訓戒を受けたことがあるが、その後は院の指導により自制心、忍耐力等が身につくなど成績良好で、同年一一月一日一級上に進級しており、同月一二日付で本人につき出院希望日を昭和六〇年一月二九日として仮退院の申請がなされている。

二  ところで、本人は、IQが六三と知能程度が低く(軽愚級精神薄弱)日常の身辺処理には支障がないものの、上記の経緯にも見られるとおり、統制の働かない場面では先の見通しなく野放図になりやすく、考え方が自分本位のため思い通りにならなかつたり、法意されるとカッとなり、他罰的、攻撃的になる傾向が強く、これは今回の院内指導によりかなり改善され、現在院内場面でこれが表面化することはないが、前記交野女子学院及び現在の少年院でも入院当初他院生とのトラブルが生じていることや交野女子学院ではそれなりの教育効果を上げたものの、仮退院後保護司方で就労しながら長続きせずより重大な再非行に至つた経緯に照らすと、強い規制の下で根気強い指導がなされる場面では感情統制も働き地道な努力もなされるが、能力的な低さから新しい生活場面への適応力に欠け、規制が解かれると社会内で十分適応できず再び放縦な生活に戻りまた感情統制がききにくくなるおそれが多分に存することが認められる。

三  さらに、出院後の受入れ体制を見ると、本人には両親がいるものの、保護能力には極めて劣り、現在でも本人の以前の同棲相手である暴力団関係者から恐喝まがいの行動をとられ、脅えるばかりで十分これに対処できず、出院後の少年の身の処し方についても住込就労を希望するなど積極的な姿勢が全く見られない。

四  本人は、出院後両親方に戻り、母の勤める職場で就労したいという意向を有しているものの、両親は収容中の少年に面会はおろか手紙すら一度も出していないため両者間に意思の疎通ができておらず、今後前記暴力団関係者への対応を含めて、保護観察所の力を借り、この間の調整を図る必要が存する。

五  以上の事情を勘案すると、本人の反社会的傾向は未だ矯正されたものということはできず、また退院後も相当期間保護観察を必要とする特別の事情が存すると認められるところ、榛名女子学園内での前記処遇の経過からすれば、本人は遅くとも昭和六〇年二月中には同少年院を仮退院することが予想されるが、その後の保護観察期間として少なくとも半年以上は必要と考えられるので、本件申請のとおり、収容継続の期間を昭和六〇年八月二八日までとするのが相当と思料する。

よつて、少年院法一一条四項、少年審判規則五五条により、主文のとおり決定する。

(裁判官 三代川三千代)

(別紙)

受け入れ環境

実父母健在で正業に従事しているが、本人に手紙を書いてよこすこともできないほど能力が低く、遠方で不案内な地にある当園に面会や出迎えに来ることは不可能である。したがつて、前回、交野女子学院仮退院時も稼働先や出迎えについて全面的に名古屋保護観察所の援助を受けている状態であつた。当時、住込就職先であつたクリーニング店は、本件が「放火」であつたため再雇用の見通しはない。両親のもとに帰住させ母の働いている縫製所に雇用していただくよう保護司から依頼している。

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